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青森地方裁判所八戸支部 昭和53年(ワ)8号 判決

原告

砂渡誠

砂渡実

原告(兼右両名法定代理人親権者父)

砂渡武見

同(右同母)

砂渡美鈴

右原告ら訴訟代理人弁護士

二葉宏夫

渡辺義弘

被告

十和田市

右代表者市長

中村享三

右訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

小堺堅吾

中林裕雄

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告砂渡誠、同砂渡実に対し各金二四四六万円、原告砂渡武見、同砂渡美鈴に対し各金二七五万円、および右各金員に対する昭和五一年三月六日から各支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告砂渡武見(以下「原告武見」という)。は、原告砂渡誠(以下「原告誠」という。)及び同砂渡実(以下「原告実」という。なお以下原告誠、同実の両名を「原告誠ら」という。)の父、同砂渡美鈴(以下原告美鈴」という。)は原告誠らの母である。

被告は総合病院十和田市立中央病院(以下「被告病院」という。)を開設経営し、産婦人科医、小児科医及び眼科医等を雇傭して同病院にて医療行為にあたらせているものである。

2  原告誠らの失明

原告誠(第一児)及び同実(第二児)は、昭和四八年三月一日被告病院において一卵性双胎児として出生したが、いずれも未熟児(生下時体重は、原告誠が一二〇〇グラム、同実が一二三〇グラム)であつたため、同病院産婦人科医師藤井道彦(以下「藤井医師」という。)の指示下に直ちに同病院の保育器(一器で共用)に収容され、以後同医師の管理のもと同年一五日までの間酸素の供与を受けたうえ、原告誠は同年五月四日、同実は同年四月二八日被告病院を退院した。しかしながら、この間右原告誠らはいわゆる未熟児網膜症(以下「本症」という。)に罹患し、その結果昭和四八年一一月ころにはいずれも両眼失明状態(明暗をようやく弁ずる程度)にあることが判明した。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実(ただし、被告病院が医療法四条に規定する総合病院であることは争いがある。)は当事者間に争いがない。

二同2(原告誠らの失明)の事実中、原告誠らが本症に罹患し、その結果両眼失明に至つたことを除く事実は当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すれば、原告誠らの治療経過として次の事実が認められる。

1  原告美鈴は昭和四七年九月二一日から分娩のため十和田市内の個人開業医院である施世院産婦人科に通院していたが、早産の徴候が見られたため、昭和四八年二月二八日被告病院に転院した。

2  被告病院における本件当時の診療体制として、同院では内科産科を含む混合病棟で新生未熟児の看護保育を担当しており、病床数は四五床でうち五床が新生児病棟となつており、看護婦数は一四名、うち新生児室責任者として日勤三名、夜勤一名がこれにあたつていた。新生児の保育を担当するのは藤井医師一人で、同医師は昭和三九年弘前大学医学部を卒業し、昭和四〇年五月医師免許を取得した。同医師はその後東北大学医学部小児科教室、弘前大学附属病院産婦人科(未熟児担当)、五所川原市内の病院での研修ないし勤務を経て、昭和四七年五月から被告病院に勤務し本件当時に至つたもので、未熟児の保育は年四、五例の割合で担当したが、本症に遭遇したのは本件が初めてである。同医師は、日本産婦人科学会及び日本新生児学会に所属し、同会発行の雑誌を講読していたほか、東北大学産婦人科教授安達寿夫著の「新生児学入門」(生下時体重一〇〇〇グラム以上でも二〇〇〇グラム以下の未熟児はしばしば呼吸が浅く、肺胞が十分拡張するのに一ないし二週を要するものが多く、保育器内で生後一定期間酸素吸入をしなければならず、本症との関連でその濃度は三五パーセント前後が妥当であり、また普通のインキュベータ内投与法では四〇パーセント以上になることは少ないので、実際上高濃度そのものはあまり心配なく、ただ投与を中止するときその濃度を急激に下げることなく徐々に下げるよう注意すべきである、としている。)、「東京大学小児科治療指針」(未熟児に対する授乳開始を急ぎすぎたり、食餌の増量を焦つたりすることは、嘔吐を誘発し窒息や吸引性肺炎の原因となることが多いから厳に慎むべきであるとし、生下時体重一〇〇〇ないし一五〇〇グラムの場合は三日の飢餓期間をおくのが相当であり、また酸素療法については、議論はあるがチアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児で極小未熟児の場合はルーチンの酸素投与が救命及び脳障害防止のため必要であるとし、その基準として、酸素投与期間は、生下時体重が一二〇〇グラム以下の場合には二ないし三週、同一二〇一ないし一五〇〇グラムは一ないし二週、同一五〇一ないし二〇〇〇グラムは三ないし七日、同二〇〇一グラムは一日を目安とし、閉鎖式保育器内で酸素を投与する場合は本症の発生予防のため酸素濃度は六〇パーセント以下とし、通常四〇パーセントに止める。未熟児の呼吸数が毎分六五回以上の頻数となつたり、呼気性呻唸や著明な陥没呼吸などに気付いたときは、直ちに充分な酸素を供給する。この場合の酸素濃度は四〇パーセントを超えても仕方がないとしている。)、高井俊夫著の「小児科学」、弘前大学教授品川信良著の「これからの産科婦人科(昭和四二年一二月刊行)(飢餓期間は生下時体重一〇〇〇グラムで四八時間、一五〇〇グラムで三六時間が妥当とし、また未熟性の強いもの、例えば一五〇〇グラム以下、在胎期間三二週以下のものに対しては、酸素供給を常に行い、呼吸停止やチアノーゼのあるものに対しては、もちろん必ず行うとし、濃度は四〇パーセント以上となると本症を起こし易いのでそれ以下に維持しなければならない、としている。)」等の各文献に基づき、本件当時次のような知見を有していた。すなわち、(1) 生下時体重が一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の未熟児は特に肺機能が未熟でチアノーゼを呈したり、呼吸困難に陥り易く、その結果死亡したり脳性麻痺を発生する危険が高く、その予防として酸素療法が不可欠である。また飢餓期間は一日ないし二日が相当であり、保育器内の温度は高く保つ必要がある。(2) 正常児の呼吸数は毎分四〇回程度であり、これが毎分六〇回ないしこれを超える場合は呼吸困難を呈していることとなり酸素療法の適応状態である。その他生下時体重二〇〇〇グラム以下の未熟児は呼吸障害及びチアノーゼの有無にかかわらず毎分二ないし三リットルの酸素を供給して状態を観察する。もしチアノーゼを呈していて右の酸素供給下でこれが改善しないのであれば、毎分五リットルを限度として増量する。(3) 患児の状態が良好となれば、酸素の供給量を徐々に減らし、生下時体重に戻つた時点で生命の危険等はなくなつたものとみて供給を中止する。(4) 本症に関しては、高濃度の酸素(四〇パーセントを一応の目安とする。)を供給したり、高濃度の酸素供給を急に打ち切ると本症を発生する可能性が高いが、右基準を守つていれば本症の発生は殆んど防止することができる。なお酸素濃度四〇パーセントは絶対的基準でなく、生命維持が危ぶまれる状態にあるならより高濃度の酸素を供給すべきであつて、本症の発生を早期に発見するため定期的に眼底検査を施行する必要があるとして眼科医との協力体制が提唱されていたことや、光凝固法ないし冷凍凝固法の存在等は知らず、本症に対する治療法はないと理解していた。また同院の眼科では、常勤者はなく、弘前大学医学部附属病院の関野尹夫医師が委嘱により週二回程度出向して治療を担当する体制であつたところ、同医師も本件当時本症についてさほどの関心も有していなかつたことから、同院ではその当時本症との関連で産科小児科との連携をとり眼底検査を行う体制にはなく、右体制がとられたのは、藤井医師から本件発生の報告を受けてからで、昭和四八年後半である。同医師は当時本症に対する光凝固実施の経験はなく、これを適確になしうる自信もなかつたため、被告病院で昭和四九年暮に本症(Ⅰ型)を発見した際も、弘前大学附属病院に転医させている。また被告病院では本件当時光凝固及び冷凍凝固装置を備えておらず(いずれも昭和五四年に至つて購入)、ボンノスコープもなく(昭和五一年六月購入)、本件当時眼底検査は直像鏡により行われていた。

3(一)  原告誠は、昭和四八年三月一日午前四時三〇分ころ被告病院産科にて原告美鈴を母とし一卵性双胎児の第一子として出生したが、分娩予定日は同年五月八日であり約六八日早く(在胎週数三一週)出生し、生下時体重約一二〇〇グラム、身長約三八センチメートルの極小未熟児であつた。原告実は、同日午前四時三六分同様に原告美鈴を母とし一卵性双胎児の第二子として出生し、生下時体重約一二三〇グラム、身長約三七センチメートルの極小未熟児であつた。原告誠は出生時において啼泣はあつたが弱く、体部チアノーゼ(±)((+)は所見あり、(−)は所見なしを示す、以下同じ)と全身状態が芳しくなかつたため、藤井医師の指示により直ちに(同日午前四時三三分ころ)閉鎖式保育器(サンリツST二〇〇〇、以下「本件保育器」という。)に収容され、毎分三リットルの酸素供給を受けており(なお酸素濃度の増減措置は原則として同医師の具体的指示に基づき行われるが、藤井医師において、その不在等により右指示を下せない場合に備え、看護婦に対して、予め酸素投与の概括的基準、すなわち「患児のチアノーゼが身体末端でなく、口唇部あるいは身体全体に発生したときなど全身状態が悪化した場合に、酸素を毎分五リットルを限度として増量し、良好な状態となれば徐々に減量して毎分三リットルに下げる」を指示していた。)、また原告実は出生時筋肉弛緩状態(仮死一度)にあつて吸引措置を施した結果蘇生し、チアノーゼを呈していたため、同医師の指示により直ちに(同日午前四時三八分ころ)本件保育器に原告誠と共用して(本来であれば別の保育器に収容されるべきところ、当時同病院では保育器三器を保有していたが、一器は故障により使用できず、他の一器には他の未熟児が収容されていて予備の保育器がなかつたため、やむを得ず右措置が採られた。)収容され、酸素供給量は原告実の症状に応じ毎分五リットルに増量された。

(二)  以後、被告病院においては、本件保育器内に収容中の原告誠らに対し、同年三月六日午後二時ころまで毎分五リットルの酸素供給を継続しており、その間の原告誠らの全身状態は看護日誌等によれば次のとおりである。なお授乳開始までのいわゆる飢餓期間は原告誠らに対して四八時間が置かれた。

(1) 同年三月一日午前五時一〇分ころは、原告誠は手足部に軽度のチアノーゼ及び体動四肢運動(+)、容態に特変なし、同実は同部に強度のチアノーゼを呈し、体動四肢運動及び皮膚色回復(+)、午前六時頃は、同誠は手足チアノーゼ(±)、口唇運動(+)、皮膚色回復、呼吸状態良(呼吸数五〇、ただし毎分につき、以下同じ)、同実は手足部チアノーゼ軽度(+)、口唇運動(+)、皮膚色回復、呼吸状態良。午前六時二〇分は、同誠は両手屈曲他伸して睡眠、同実も同様であるが、啼泣(+)で弱い。午前七時一〇分ころ、同誠は手掌チアノーゼ(±)、体温三四・三度C、同実は手掌足底チアノーゼ(+)、体温三四・七度C。午前八時ころは、同実は四肢チアノーゼ(+)。午前九時ころ藤井医師来診あり、同誠はチアノーゼ(±)、同実は手足及び左側上肢にチアノーゼ(+)。午前一一時ころは、同誠はチアノーゼ(−)、体部浮腫(+)、同実は足底チアノーゼ強、浮腫(+)。午後三時ころは、同誠はチアノーゼ(−)、同実は足底チアノーゼ(±)。午後七時ころは、同誠は熱感(+)、チアノーゼ(−)。呼吸数七八、同実は足底チアノーゼ(±)、呼吸数六四。午後九時一五分ころは、同誠は全身チアノーゼで呼吸停止に陥り、胸かくマッサージ及び注射施行、その後チアノーゼが消失し自発呼吸(+)(呼吸数七八)、午後一一時一〇分ころは、同誠は全身チアノーゼ(+)、呼吸停止状態に陥つたが胸かくマッサージ及び注射施行により回復。午後一一時五〇分ころは、同実は全身チアノーゼ(+)、呼吸停止状態に陥つたが胸かくマッサージ及び注射施行により回復、茶色嘔吐一回あり。午後一二時ころは、同誠はチアノーゼ(−)、浮腫(+)、茶色嘔吐一回あり。体温三六・五度C。

(2) 翌三月二日午後二時頃は、原告実は全身に軽度のチアノーゼ(+)。午前三時ころは、同誠は二回無呼吸発作あり、いずれも軽い胸部マッサージにより回復、腹部膨満(+)。午前三時二〇分ころは、同誠は無呼吸状態に陥り胸部マッサージ施行するも回復悪く注射施行す、午前四時ころまで無呼吸状態がしばらく続く。午前四時ころは、同誠は呼吸数六〇、同実は啼泣(+)、浮腫及びチアノーゼ(+)。午前七時ころは、同誠の状態は回復し、チアノーゼ(−)、浮腫(+)、同実は浮腫(+)、チアノーゼ(+)、啼泣力良好。午前八時四〇分ないし九時ころ、藤井医師が来診し、原告誠らに対する注射施行を指示する。午前一〇時ころは、同誠はチアノーゼ(−)、啼泣及び浮腫(+)、呼吸数六〇、体温三六・九度C、同実はチアノーゼ足底に(+)、呼吸は不正で浅く(呼吸数六六)、体温三六・八度C、啼泣(+)。午後一時ころは、同誠はチアノーゼ(+)、状態急変なし、体温三七・四度C。同実はチアノーゼ(+)、状態急変なし、体温三七・七度C。午後三時ころは、同実はチアノーゼ(−)、陥没呼吸(不規則)(+)、啼泣弱く、体動(+)。午後三時一五分ころは、同実は呼吸停止に陥り、全身チアノーゼ(+)、人工呼吸で回復す。午後三時二〇分ころは、同実はチアノーゼ(+)。午後三時三〇分ころは、同誠は呼吸停止に陥つたが、人工呼吸によりすぐ回復す。午後六時ころは、同誠は呼吸停止に陥つたが胸かくマッサージ施行によりすぐ回復、浮腫(+)、けいれん(±)、呼吸数六四、体温三七・二度C。午後七時三〇分ころは、同実は呼吸停止に陥り、チアノーゼ及び嘔吐(+)。午後九時ころは、同誠は呼吸停止をひんぱんにくり返す、同実は呼吸停止に陥り、マッサージを施行す、浮腫、けいれん及びチアノーゼ(+)。午後九時三〇分ころは、同誠は呼吸停止に陥りマッサージ施行す。同日の体重は原告実は一一七五グラム、同誠は一一九〇グラムである。

(3) 翌三月三日午前六時ころは、原告誠は啼泣、浮腫及び足底チアノーゼ(+)、体温三五・八度C、同実は啼泣、浮腫及び足底チアノーゼ(+)、けいれん(−)、体温三六・六度C。午前九時ころは、藤井医師来診す、同誠は筋肉弛緩(±)、体部浮腫(+)、チアノーゼ(−)、呼吸状態は不規則で、同実は陥没呼吸、浮腫及びチアノーゼ(+)、皮膚色不良。午前一〇時三〇分ころは、同誠はチアノーゼ(−)、啼泣(+)、同実は前後抵抗(−)、チアノーゼ(+)。午前一一時ころは、同誠は呼吸停止に陥り、人工呼吸で回復す。午前一一時三〇分ころは、同実は陥没呼吸(+)、午前一二時ころは、同誠は呼吸停止に陥り、人工呼吸により回復す。午前三時ころは、同誠は呼吸停止に陥り、人工呼吸ですぐ回復す、啼泣(+)、体動(+)、同実はチアノーゼ、体動及び啼泣(+)、嘔吐。午後六時ころは、同誠は呼吸停止に陥り、胸部マッサージにより回復す、同実は嘔吐(−)、啼泣は良好、チアノーゼ(+)。午後一一時四五分ころは、同実は呼吸停止し、全身チアノーゼ(+)、人工呼吸により回復するも手足に軽度チアノーゼ(+)、嘔吐(−)。午後一二時ころは、同誠は嘔吐及びチアノーゼ(−)、時々呼吸停止するも自力で回復す。同日の体重は、原告実は一一一〇グラム、同誠は一一〇〇グラムである。

(4) 翌三月四日午前零時三十分ころは、原告誠は呼吸停止に陥り、胸かくマッサージで回復す、呼吸数六〇。午前六時ころは、同誠は嘔吐(−)、浮腫(+)、同実は嘔吐(−)、チアノーゼ左手に軽度(+)、呼吸数六二。午前一一時ころは、同実は啼泣(+)、藤井医師の指示でペントレックス施行す。午前一一時三〇分ころは、同誠は啼泣(+)、藤井医師の指示でペントレックス施行す、呼吸停止あり、人工呼吸で回復す、呼吸数五〇、体温三七・一度C。午後三時ころは、同実は呼吸停止に陥り、人工呼吸で回復す、吐乳(−)、呼吸数六〇、体温三七・一度C。午後七時ころは、同誠は呼吸停止及びチアノーゼ(−)、体温三六・五度、呼吸数六〇、同実も呼吸停止及びチアノーゼ(−)、体温三六・三度C、呼吸数三四。午後一二時ころは、同誠は呼吸停止するも間もなく回復す、呼吸数四〇、同実は呼吸停止及びチアノーゼ(−)、四肢運動活発。

(5) 翌三月五日午前六時ころは、原告誠は呼吸停止及びチアノーゼ(−)、四肢運動活発で、体温三六・五度C、呼吸数四〇、同実も同様で異常なく、体温三六・七度C、呼吸数五四。午前九時ころは、藤井医師が来診す、同誠は体動(+)、同実は嘔吐(−)、体動(+)。午前一〇時ころは、同誠は上方凝視及び上体部後方硬直(+)、チアノーゼ(−)。午前一二時ころは、同誠は呼吸停止一回あり、胸かくマッサージで間もなく回復す。午前二時ころは、同誠は体温三七度C、呼吸数六二、同実は体温三六・五度C、呼吸数五二。午後三時ころは、同誠は体動(+)、嘔吐及びチアノーゼ(−)、同実も同様。午後五時一五分ころは、同誠は呼吸停止に陥つたが、胸部マッサージ施行によりすぐ回復す、体温三六・八度C。午後五時四五分ころは、同誠はチアノーゼ及び体動(+)。午後七時ころは、同誠はチアノーゼ(−)、特変なし、呼吸数三二、同実はチアノーゼ(−)、体動(+)、特変なし、体温三六・三度C、呼吸数三四。午後九時ころは、同誠は呼吸停止(−)、啼泣及び四肢運動(+)。午後一二時ころは、同誠は嘔吐、呼吸停止及びチアノーゼ(−)、同実はチアノーゼ(+)。同日の体重は、同誠は一〇七〇グラム、同実は一一一〇グラムである。

(6) 翌三月六日午前七時ころは、同誠は吐乳及びチアノーゼ(−)、浮腫(+)、同実も同様。午前一〇時ころは、同誠は体温三六・七度C、呼吸数四二、同実は体温三六・四度C、呼吸数四八。午後二時ころは、同誠は体温三七・二度C、呼吸数四〇、同実は体温三六・五度C、呼吸数四〇。

(三)  三月六日午後二時ころ、藤井医師の指示により本件保育器内の酸素供給量を毎分三リットルに減量したところ、同日午後三時五分ころ、原告は呼吸停止に陥りチアノーゼ(+)、体部マッサージ施行によりようやく回復する状態であつたため、再び酸素を毎分五リットルに増量して観察を続けたところ、午後七時ころは、同誠は再び呼吸停止に陥り、マッサージにより回復す、体温三六・一度C、呼吸数六八で、同原告は、翌三月七日午前零時一五分ころは、呼吸停止あるも回復す、午前六時ころは、チアノーゼ及び嘔吐(−)、体温三五・五度C、呼吸数四八と回復し、他方、同実は三月六日午後三時以降も吐乳及びチアノーゼ(−)で異常はなかつた。

(四)  その後、原告誠の一般状態に特変なく、三月七日午前九時ころ酸素供給量を再び毎分三リットルに減量したところ、同日午前一〇時三〇分ころは、チアノーゼ(−)、体動(+)、体温三六・三度C、午後三時ころは、チアノーゼ(−)、午後一二時ころは、呼吸停止なし、同日の体重は一〇九〇グラム、また翌三月八日午前一〇時ころは、体温三七・一度C、呼吸数六〇、午後三時ころは、チアノーゼ(−)、四肢運動(+)、特変なし、午後四時三〇分ころは、皮膚色良く、体動(+)と比較的良好な状態が続いたが、午後五時三〇分ころ、同原告は呼吸停止に陥り、胸かくマッサージ施行により回復するもチアノーゼが消失せず、再び酸素を毎分五リットルに増量した結果、まもなく回復す、午後一二時ころは、吐乳(−)、足底及び手足爪にチアノーゼ(+)、翌三月九日午前六時ころは、チアノーゼ及び吐乳(−)、四肢運動活発、体温三六・二度C、呼吸数六〇、午前九時には酸素を毎分三リットルに減量す、午後三時ころは、チアノーゼ(−)、体動(+)、ところが午後五時五〇分ころ、再び全身チアノーゼ(+)となつたため酸素を毎分五リットルに増量した結果、数分後に回復したが、午後一二時ころは、啼泣、体動及びチアノーゼ(+)、なお同原告の当日の体重は一〇九〇グラムであつた。

その後、原告誠の容態が良好となつたため、三月一〇日午前一一時ころ、酸素を毎分三リットルに減量し経過を観察したところ、午後三時ころは、嘔吐なし、午後六時ころは、体温三五・三度C、呼吸数四五、午後一二時ころは、吐乳(−)、同原告の同日の体重は一〇〇〇グラムである、三月一一日午前六時ころは、チアノーゼ及び吐乳(−)、体動(+)、特変なし、体温三六・七度C、呼吸数四二、午後三時ころは、体動活発、チアノーゼ(−)、午後七時ころは、体温三五・一度C、呼吸数四六、三月一日午前六時ころは、特変なしの状態であつたため、同日午前九時ころ、藤井医師の指示で酸素を二リットルに減量した。その後も、原告誠の状態は特に異常を呈せず良好であつたため、同日午前一〇時ころ、酸素を毎分一リットルに減量したうえ原告誠の状態を観察したが、良好の状態が続き生下時体重にも近づいたため、三月一六日午前九時には酸素の供給が中止された。同日の同原告の体重は一一九二グラムである。なお、保育器内の酸素流量と濃度の関係につき、本件保育器の濃度換算表によれば、毎分〇・五リットルで二四ないし二五パーセント、毎分一リットルで二六ないし二九パーセント、毎分二リットルで二九ないし三二パーセント、毎分三リットルで三二ないし三六パーセント、毎分四リットルで三八ないし四二パーセントとなつている(右換算表には、それ以上の流量についての対比表はない。)。ただし、看護手順(藤井医師は一日につき一人平均五〇回で、本件では二人なので約一〇〇回に及ぶとみている。)が加えられるため、実際の濃度は右換算表の濃度を下廻ることがあり、同医師は毎分五リットルの供給をしても酸素濃度は四〇パーセント以下の状態にあると考えていた(本件当時以後に同医師が実験した結果によれば、本件保育器の換気孔密閉状態下においては、毎分一リットルで二四パーセント、毎分二リットルで二六パーセント、毎分四リットルで三八パーセント、毎分五リットルで四四パーセントであり、換気孔半開状態下では、毎分四リットルで三〇パーセント、毎分五リットルでも三三パーセントであつた。)。

(五)  他方原告実は、三月七日以降酸素供給が停止された三月一六日午前九時ころまで、チアノーゼ(−)、体動(+)、体温は三四・八度から三六・九度を維持し、呼吸数も、三月八日午前一〇時に六二、同月一五日午前一〇時に六六を記録したほかは三四ないし五六の間にあり、体重も、三月七日は一一〇〇グラム、同月九日は一一一〇グラム、同月一〇日は一一二〇グラム、同月一二日は一一四五グラム、同月一四日は一一八五グラム、同月一六日は一一九五グラムと順調に増加し、特に異常は認められなかつた。

(六)  右酸素供給の停止後も原告ら患児の状態は特に悪化を示すことなく良好な状態が持続したため、同年四月二五日午前一〇時三〇分ころ、右両名共コット保育に切り換えられたうえ、原告実は同月二八日午後一時ころ、体重二六八〇グラムの状態で、同誠は五月四日、体重二八五〇グラムの状態で、それぞれ被告病院を退院した。

(七)  ところが、右退院後相当期間を経過した昭和四八年一〇月中旬、原告美鈴は原告誠らの視機能に疑いを抱き、同年一一月から昭和四九年五月ころまでの間、十和田市内の眼科をはじめ八戸日本赤十字病院、青森県立中央病院、被告病院の各眼科等で検査を受けた結果、いずれの病院においても、原告患児両名共に後水晶体線維増殖症ないし未熟児網膜症により失明状態にあると診断され、また八戸日本赤十字病院眼科医師森寛志は、昭和五〇年九月一九日、原告誠らにつき、「昭和四八年三月頃発症の両眼未熟児性網膜症(両眼後水晶体線維増殖症)により左右眼共光覚で矯正不能の状態にあり、具体的所見として、左右前眼部が両眼共に眼球発育不全による眼球陥没状態を呈し、左右中間透光体が両眼水晶体後面に混濁ありて更に水晶体核部にも薄濁を認める。右眼底が汚染色調にて細血管新生を伴つた神経膠組織増殖と思われる瘢痕像を呈し、左眼底は透光不充分なため不確実ながら右眼底と殆んど同様である。」と診断した。

以上の事実が認められる。

そして、右の事実、特に原告誠らの生下時体重、在胎期間、酸素投与の経過等の諸事情と前記医師の診断内容及び後記認定の本症についての知見を考慮すれば、原告誠らが本症に罹患し、その結果両眼失明に至つたことが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

三〈中略〉

1  本症の歴史的背景と今日における知見〈省略〉

2  本症の臨床経過の分類

(一)  昭和四九年報告による分類〈省略〉

(二)  〈省略〉

(三)  なお、原告誠らが右分類のうちⅠ型とⅡ型(あるいは中間型)のいずれであつたかについては、Ⅱ型は生下時体重が九〇〇ないし一〇〇〇グラムの未熟児に多いとの報告もあり、他方Ⅱ型は酸素投与期間が一〇日ないし二一週のもの(原告誠らの場合は実質一五日間)に、Ⅰ型は九・七日のものに発症しているとする報告や、あるいはラッシュタイプは生下時体重が一四〇〇グラム以下で在胎週数三三週以下の未熟児(原告誠らがこれにあたる)に集中しており、酸素投与期間や母体の条件は特別の誘因ではないとする報告にあるがいずれも少数の症例から得られた一応の統計結果の域を出るものでなく、Ⅱ型は極小未熟児に多く発症し未熟性の強い眼に起こり、生下時体重や在胎週数等が重要な因子で、原告誠らが極小未熟児の中でも生下時体重が低い部類に属する(しかも双胎児は単胎児に比し一般的に未熟性が強いといわれる)ことに照らせばⅡ型であつた可能性は一応高いとはいい得るものの、なおその正確な判定は眼底検査によりⅡ型の診断基準に該当する所見が認められたか否かによらざるを得ないところ、本件においては、活動期における眼底検査は一切行なわれていないのであるから、右の点を適確に認定する資料はなく、いずれとも判断できない。〈中略〉

3  本症の予防及び治療方法〈省略〉

四被告の責任について

医師は人の生命及び健康を管理すべき医療行為に従事するものであるから、右業務の性質に照らし、当時の医療水準に基づく臨床医学知識により必要とされる最善の措置を尽くすべき義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべき医療水準は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準で、当該医師の専門分野、当該医師が置かれた社会的・地理的環境等の諸事情を考慮して具体的に判断されるべきである。そして医師がこの義務に違反して患者の生命及び身体を害する結果を惹起したときは、当該医師を雇傭する使用者は民法七一五条一項の規定に基づき患者側に生じた損害を賠償すべき責任を免れず、反面当該医療行為が診療当時の医療水準に照らして相当と認められる場合は当該医師に義務違反はないこととなり、その使用者も同条項に基づく損害賠償責任を負うことはないというべきである。

また、医療機関としては、右のような医療水準に適合した医療行為が可能となるよう人的物的診療設備を可及的に整備すべき義務を要求され、この義務に違反した場合は民法七〇九条の規定に基づき患者側に対し損害賠償をすべき責任を負うものと解するのが相当である。

そこで、以下まず本件当時における医療水準について判断する。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本症についての一般的知見

本件当時、本症は児の未熟性を基盤とし、これに高濃度の酸素投与が引き金となつて発生するとの考え方が一般的で、本症の発生は生下時体重が一五〇〇グラム以下で在胎週数が三二週以下の未熟児に多く、その七〇パーセント程度は自然治癒するものと考えられていた。

2  本症の予防についての医療水準

本件当時、本症の発生を予防するためには酸素療法を含めた適切な全身管理を行う必要があるとされていた。保育器内の環境温度については、直腸温が三四度C以下に下降した未熟児は死亡することが多く、三二度C以下の症例の予後は絶対的に不良であるから、保育器に収容し、体重二〇〇〇グラム以下であれば環境温度を三三ないし三五度Cに、二〇〇〇グラム以上であれば三〇度C前後を維持するのが適当であるとされ、また授乳開始時期については、早期授乳がよいとする見解と晩期授乳がよいとする見解に分かれていたが、早すぎる授乳開始は嘔吐と吐物の誤飲の危険が大きいため、生下時体重が一五〇〇ないし一〇〇〇グラムの未熟児に対しては、四八時間程度の飢餓期間を置いて授乳を開始するのが一般的措置であつた。本症の予防策として重要なのは酸素療法であり、本件当時、本症の発生を予防するためには未熟児に対する酸素投与を必要最少限度にとどめるべきであるとされ、かつては保育器内の酸素濃度を三〇ないし四〇パーセント以下に抑えていれば、本症の発生はほぼ予防できるとの見解が強かつたが、昭和四二年に植村が酸素を適正に供給していても、また全く酸素を投与しなくても本症が発生した例のあることを報告して以来、右基準は絶対的安全値といえないことが明らかとなつた。しかしながら、その後においても酸素投与にあたつては可及的に右基準を維持し、その投与期間も必要最少限にすべきとの知見が最も一般的であつた。また酸素療法の適応については、未熟児がチアノーゼを呈しているとか呼吸障害に陥つている場合に限るべきで、ルーチンの投与はすべきでないとする見解が多かつたが、低出生体重児(一五〇〇グラム以下、あるいは一二〇〇ないし一三〇〇グラム以下とするものが多い。)に対してはルーチンを投与すべきであるとの見解も根強くあり、投与方法についても、酸素投与を中止するにあたつては急激になすべきでなく、徐々に漸減して中止すべきであるとする見解と、漸減法は本症の予防とならないとする見解に分かれていた。そして、右四〇パーセント濃度が酸素療法の絶対的安全基準といえないことから、未熟児の死亡や脳障害防止のため酸素が必要な重症児に対してはより高濃度の酸素投与を行なうべきであるとする見解も強く主張されるに至つた。

また昭和四一年ころから酸素濃度よりも当時アメリカで採用されていたP4O2を基準とすべきであるとの主張も有力にされていたが、その安全値が確立されていないことや、我が国では測定器も普及しておらず技術的困難が伴うことなどから、本件当時においては一般的にこれを基準とした酸素管理は行われるに至つていなかつた。

以上1及び2の知見は、眼科界及び小児科産科界において均しく普及していた。

3  眼底検査についての医療水準

昭和三九年ころ我が国で小児科及び眼科が連携して未熟児に対する眼科的管理をする必要性を提唱したのは植村であるが、その当初においては眼底検査の意義を、本症を早期に発見し、酸素療法のガイドライン(本症は供給酸素量の減少ないし中止により発生し易いとし本症が発生した場合従来の酸素濃度に戻し、回復すれば濃度を下げる方法あるいは逆に供給中の酸素投与を中止するなど)として、また副腎皮質ホルモン等の薬物療法を行う前提として、週一回程度の割合で行うべきであるとしていた。しかしながら、その後副腎皮質ホルモンはその有効性を否定され、また酸素療法のガイドラインとしても、その提唱者である植村自らが昭和四七年ころにはその有効性を否定することとなり、以後これを支持する見解もなく、右目的下における眼底検査は本件当時既に医学的にはその意義を失つていた。

もつとも一方では、永田が光凝固法を開発して以後、昭和四五年ころからその適応及び時期等を解決するため定期的に眼底検査を実施する必要性が強調されるに至り、昭和四八年ころから、光凝固や冷凍凝固の普及と機軸を同じくして、次第に先進的病院等を中心に普及し始めるに至つたが、例えば埼玉県下の大学附属病院、市立病院、法人病院である埼玉医科大学附属病院、川口市民病院、医療法人丸山病院、社会保険埼玉中央病院、埼玉県厚生連熊谷総合病院、草加市立病院、春日部市立病院、蕨市立病院に対する調査結果によれば、何れの病院においても本件当時においては未だ定期的眼底検査を実施しておらず、不定期の眼底検査を行つていた病院が僅かに一院あるのみの状況であり、また昭和四七年三月から昭和四八年九月までの間、天理よろず相談所病院で奈良県内を中心とした地域における治療センターとして未熟児の眼底検査のための眼科専門外来を開設した永田らも、その活動を通じ、大学附属病院や国立病院でさえ重症瘢痕期病変児がかなりの数で出現している結果を得て、当時未だ早期発見、適時治療の態勢は確立されておらず、検査の必要な未熟児の大多数は放置されている可能性が高いが、これを全国的規模で行うにはなお困難な問題が山積みしている旨、昭和四九年九月刊行の「日本眼科紀要二五巻五号」の発表において結論づけているほどであつて、未熟児に対する右光凝固法等の施術を前提とした定期的眼底検査を適確に実施するためには、相当期間然るべき指導者のいる医療機関で経験、訓練を積む必要があることもあつて本件当時かような眼科医の数は未だ十分でなく、全国的にこれが普及したといえる段階には到底至つていないばかりか、本症の臨床経過は多様で本件当時においては未だその統一的診断基準も存しなかつたため、これを実施していた医療機関でも各医師らが独自の基準で診断をなしている状況であつた。

被告病院周辺地域における本件当時の実施状況も同様であつて、光凝固法等の施術を前提とした定期的眼底検査を実施していたのは後述の東北大学医学部附属病院だけであり、藤井医師の出身校である弘前大学附属病院でこれを行うようになつたのは昭和四九年以降に至つてからである。もつとも青森県立中央病院眼科においては、須田栄二医師が昭和四一年から行つているが(定期性に関しては昭和五三年以前は初診後一か月間隔で生後三か月ころまで、また同年以降は初診後、二週目、一か月目、二か月目の計四回を原則としていた。)、同医師の論文(昭和四四年九月刊行の青森県立中央病院医誌一四巻三号)によれば、眼底検査を酸素療法のガイドラインとして把えて始められたものであり、また八戸市立市民病院でも昭和四五年ころから眼底検査を施行していたが、必ずしも原則的に定期的に行つていたわけではなかつた。しかして右地域においても、本件当時小児科と眼科が緊密に連携体制をとつて定期的に眼底検査を施行することは一般的に普及していたといえない状況にあつた。

4  治療法についての医療水準〈省略〉

5  〈中略〉

以上の諸点を総合考慮すると、永田が臨床眼科学会で光凝固法の有効報告をした昭和四四年秋ころにおいては、未だ追試もなされていない段階であるから勿論のこと、本件当時においても、定期的眼底検査及び光凝固法、冷凍凝固法は臨床医学へ普及するに必要な診断・治療基準が客観化しておらず、これが広く普及している段階にもなかつたというほかはないから、未だ臨床医学の実践における医療水準の段階に至つていなかつたものと認めるのが相当である。

6  被告及び藤井医師の過失の有無

(一) 酸素投与上の管理義務違反の過失について

原告誠らに対する酸素療法の内容、藤井医師の知見及び酸素療法に関する本件当時の医療水準は前記認定のとおりである。右事実によれば、藤井医師及びその指示を受けた看護婦は、双胎児で生下時体重が一二〇〇グラム及び一二三〇グラムと低く全身状態の芳しくない原告誠らに対し、当初はルーチンに毎分三リットルの量を、以後は同一保育器に収容された両名の陥没呼吸、呼吸停止、チアノーゼ等の臨床症状、特に重い原告誠の症状に配慮しつつ適宜酸素流量を加減して、毎分五リットル(本件保育器備付の換算表によると酸素濃度は四〇パーセント以上となるが、看護手順等の加わることを考慮すると、なお四〇パーセント以内か、超えてもそれほど大巾に上回ることはない。)を最高限度とし、患児の状態が好転すれば速やかに毎分三リットルに減量するなどしたうえ、酸素供給を中止する際は漸減法を採つて、酸素療法をしたものであつて、右措置が本件当時の医療水準に照らし、藤井医師の合理的裁量の範囲を逸脱した著しく不当なものであつたということはできない。

なお、原告実は、症状の重い原告誠と同一保育器に収容されて同量の酸素供給を受けていたものであり、保育器を共用すること自体は好ましい事態とはいえないけれども、被告病院において当時他の保育器が故障中で使用できず、しかも原告誠らが他院から転医してきたのは原告美鈴の早産による突然の要請であつたという不幸が重なつたためで、前記規模の被告病院としてはかような措置も現実の必要上緊急やむを得ないものとして基本的にはこれを肯認すべきところ、前記のとおり、原告実においても当初毎分五リットルの酸素供給を受けたにかかわらず、昭和四八年三月四日ころまでの間は呼吸停止、陥没呼吸やチアノーゼ等を繰り返しており、その症状については予断を許さない状態であつたと認められるし、また同月六日午後二時一旦毎分三リットルに酸素を減量された以後は原告誠の症状を特に配慮して幾度か毎分五リットルに増量されてもいるが、その投与期間は同月六日午後三時五分から翌七日午前九時まで、翌八日午後五時三〇分から翌九日午前九時まで及び同日午後五時三〇分から翌一〇日午前一一時までと断絶的で比較的短期間であるうえ、その供給量も酸素濃度上は四〇パーセント内外であり、原告誠の症状に照らし生命等の危険防止上やむを得ない措置であつたこと、その他供給期間は全体として一五日間(漸減措置に移つたのは三月一〇日午前一一時で、生後一〇日間)であり、前記「東京大学小児科治療指針」掲記の投与基準(ルーチンの酸素投与で生下時体重が一二〇一ないし一五〇〇グラムの場合は一ないし二週)に照らしてもそれほど適切を欠くものではないことなどの点を合わせ考えると、藤井医師の原告実に対する酸素療法が著しく相当性を欠くものとは断じ難い。

また、藤井医師による酸素供給は、濃度計でなく流量計と酸素濃度換算表を使用して調節されており、濃度計を使用したほうがより正確であるとはいい得ても、前示の事実関係、特に本件時に供給された実際の酸素濃度、原告誠らが高濃度の酸素供給を必要とする症状を呈していたこと等に鑑みると、右事実のみをもつて同医師に酸素管理上の義務違反があるということもできない。

そうすると、藤井医師に原告ら主張の酸素投与上の過失ありということはできない。

(二) 眼底検査及び光凝固法等実施義務違反の過失について

本件当時、被告病院では産科と眼科とが連携して眼底検査を実施する体制をとつておらず、そのためもあつて藤井医師は原告誠らに対し眼底検査を実施する措置をとらなかつたこと、また同医師は、光凝固法等の治療法の存在を知悉せず、これを実施、ないし実施のため転送の措置を採ることをしなかつたことは当事者間に争いがない。

そして、前認定の事実によれば、藤井医師は未熟児に対する酸素供給を四〇パーセント以内の濃度に抑えれば本症の発生をほぼ防止できると考えており、被告は、かような知見が本件当時の一般的水準であつたから同医師に本症の発生を予見すべき義務はないと主張するけれども、酸素濃度を四〇パーセント以内に維持していてもなお本症発症の報告があつて右基準が絶対的安全値といえないこと自体は、その当時既に眼科及び産科小児科界における一般的知見となつていたというべきであるから、被告の右主張は失当であり、藤井医師は右予見義務を有していたということができる。

しかしながら、結果回避義務としての眼底検査及び光凝固法、冷凍凝固法の実施に関しては、これらが本件当時未だ医療水準に達していなかつたことは前記のとおりであり、そうだとすれば藤井医師及び被告に対し、これを実施し、あるいは実施のための医療設備の充実、更には他院の眼科医の協力を得て眼底検査を実施し、光凝固法等を実施している他院に転送するなどの右実施及び実施を前提とした諸措置をとるべきことを求めるのは難きを強いるものにほかならず、同医師らにはそのような諸措置をとるべき法律上の義務はなかつたというべきであるから、その措置をとらなかつた等につき過失ありとすることはできない。

したがつて右義務違反がある旨の原告らの主張は失当であり、採用できない。

(三) 説明義務違反の過失について

藤井医師が原告誠らの保護者である同武見及び同美鈴に対し本症発症の危険性や光凝固法等治療法の存在などについて説明しなかつたことは当事者間に争いがない。

しかしながら、保育器に収容した未熟児に対し酸素を投与したからといつて担当医が保護者に本症発症の危険性について説明する義務があるとは解し難く、また眼底検査の必要性や治療法等についても、それが法的義務とされるためには本症の右治療法等が確立していることを前提とするというべきところ、その治療法とされる光凝固法等が本件当時未だ医療水準に達していなかつたことは前記のとおりであるから、藤井医師に原告ら主張の説明義務はないというべきである。

原告らは、右説明義務は、患児の保護者に対して本症発生の危険性、光凝固法の存在等を説明したうえで転医可能な医療機関を紹介し、保護者にいかなる医療行為を採るか選択の余地を与えるためのものであるから、治療法が医療水準として確立していなくとも、専門医により有効とされつつある治療法が存在するとの知見が一般的に普及していれば、当該医師は右義務を免れないと主張するけれども、説明義務も医師の結果回避義務の一態様として把握されるべきものである以上当該注意義務の基準となるのは原則的にはあくまで診療当時の自己あるいは他の専門分野における知見可能な医療水準と解するのが相当であり、右説明義務のみを他の義務と別異に解すべき合理的理由はない。もつとも新規治療が右水準に達していない場合においても、当該医師が特別の学識経験により他の専門分野の治療法につき高度の知見を有し、かつ当該治療法について客観的な診断・治療基準が確立している等の特段の事情があるときは、右医師につき説明義務が生じ得ると解する余地がないではないが、本件において右事実が認められないことは先に認定したとおりである。

そうすると、藤井医師に前記説明義務の存することを前提とする原告らの主張は失当であり、採用できない。

五以上検討したところによれば、被告及び藤井医師のいずれにも原告ら主張の注意義務違反を認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴各請求は失当であるといわねばならない。

六よつて、原告らの本訴各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐々木寅男 裁判官松本 久 裁判官田村幸一)

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